今回の長崎の旅でも色々と学びがありました。
先ずは、長崎に行ったら絶対に訪れたい、と想っていた原爆資料館や原爆落下中心地などでの学びです。
昔長崎を訪れた時は、まだまだ精神的に安定しきっていなかった時だったので、避けていた場所でしたが、
今回長崎行きを決めた時には、一度も不安に想う事はありませんでした。
自身がしっかりと精神的に落ち着き、感傷的になりすぎなければ大丈夫だろう、との確信があったからです。
その確信は揺るぎのない事実になりました。
守護霊の方々のご配慮もあり、様々な場所に足をむけ、かなりな距離を歩き通しましたが、
全くと云ってよいほど身体も心も疲れなかったのです。
原爆で被災された方々を想い切なくなりましたが、体調を崩すほどの落ち込みや憑依はなかったのです。
守護霊の方々やその他多くの方々のご配慮を感じずにはいられません。
その冷静に事実をみつめる体力・気力をいただけたので、様々な気づきや学びが得られたのです。
世界では、あの戦争を早く終える為には、原爆投下は正しかったのだといわれる方は多いようでが、
私の考えはやはり昔から変わらず、NO!です。
どの様な大義名分を引っ張り出してこようと、原爆を投下し、多くの生きとし生けるものを苦しませる事を認めるなど出来ません。
これは、あくまでも私の個人的な考えに過ぎませんが、
あれは大規模な『核実験』以外の何物でもなかったと考えついてしまうのです。
実験結果を計る為には、一か所(広島)だけではなく長崎が必要だったように想えてなりません。
そこが何故長崎だったのか、ここには様々な因果律が関係しているようです。
その当時の因果律だけではなく、長崎がもつ歴史の因果律も関係があります。
そしてここまでの復興を成し遂げつつあるのも、また長崎だからでしょう。
この祈りの地、どこよりも『信仰』を大切にし
畏れられ邪険にされながらも『信じる事』を守り続けた土地だからこその経験が含まれています。
人も動植物も、本当に再生の力に満ち溢れた生き物です。
私たちはあの恐ろしく悲しい体験・戦争から多くを学べる生き物です。
もう二度と、どの土地でも、国でもあの惨劇を繰り返させてはいけません。
その為には、『知ること』から始める事なのだと想います。
教科書だけではわからない生の学びが現地にはあります。
もし訪れるチャンスのある方は、ぜひ長崎や広島に足をはこんでみて、
『平和』や今ある『幸福』について想いを馳せてみてはいかがでしょうか?
ここに一つのメッセージを
被爆をしながら救護活動を行ない、その後平和を訴え続けた永井隆博士の言葉です。
『平和を』
「平和を祈る者は針一本も隠し持ってはならぬ。
武器を持っていては平和を祈る資格はない。」
この『針』や『武器』とは、兵器だけの事では無く人の心の奥底にある刺々した思いや、
人を妬み、攻撃する心だとも受け取れるのです。
私自身も含め、多くの人が『平和への祈り』を捧げられる人物であれたら良いなと想う今日この頃でした。
この永井隆博士についてお知りになりたい方はこちらをどうぞ♪
http://base.mng.nias.ac.jp/k15/Nagai.html
スピリチュアルアドバイザー奈々
2010年11月16日