先日、伊勢神宮近くのお宿に泊まった日に、降りてきたメッセージが沢山ありました。
その一つが、今日の日記のタイトル『〈未熟な〉スピリチュアリストのための家』という言葉です。
以前にも報告しましたが、震災以後自分の中で大きく『仕事』の方向性が変わりました。
子どもも、お年寄りも一緒に過ごせる福祉施設をつくる事。
その理念には必ず『スピリチュアリズム』を掲げる事までは決めていました。
ただ、方向性というか、自分自身が独身であり、資産家でもない以上どの様にして進むかもみえず、
福祉施設の現場に関わるにしても、
今のスピリチュアルアドバイザーとしての仕事もあり、『二足のわらじ』で出来るほど両方の仕事は甘くもない。
そんな葛藤中に、必然としかいいようのない近場のデイケアサービスでのボランティアをみつけ、『現場』を眺める、ちょいとお手伝いするチャンスに恵まれ
外側からですが、色んな事を学ばせていただいています。
そこには感謝しかありません。
まだまだ何の資格もなく、準備のじゅの字もありませんんが、それでも方向性がハッキリしたのが、大阪でのスピリチュアリズム講座での江原さんの一言。
『目指すなら最高を』という言葉。
その言葉に、自分の方向性を迷いながらしか行動に移せないかも、と葛藤していた私は『今、ここでの』妥協はいけない!と気づかせていただきました。
そして大阪から三重県に移動し、伊勢に泊まった時に一睡も眠れない程長時間のメッセージも頂き
その中に、〈未熟な〉スピリチュアリストのための家という言葉があったのは先ほどもふれましたね。
これが何を表わすかというと、私がいずれ立ち上げる施設の名称であり、コンセプトです。
スピリチュアリストというのは、『スピリチュアリズム』という真理を実践している人、という意味です。
そこに〈未熟な〉という言葉がはいっているのは、中途半端でOKという意味ではありません、『謙虚』な意味での『未熟者でありますよ』という事。
施設を利用する人も、そこで働く人もスピリチュアリストである事、だからといって『選民意識』があってはならない。
自分自身が『小さき者』である事、未熟さゆえスピリチュアリストといえども葛藤があり、苦しみがあり、もしかしたら『死』への恐怖をとれていない人もいると想うのです。
それで良いと想うのです。
ケアする側も、ケアを受ける側も、皆、皆色んな葛藤がある、不平不満もきっと出てくる、それを共通言語である『スピリチュアリズム』を基にひも解きながら、
時には言い合いながら、喜怒哀楽という感動をしながら、磨きあいながら、『旅立ち』へ向けてのお手伝いと準備。
そこで気づく自分たちの等身大の問題点を見つめて改善して生きる事。それこそスピリチュアリズムの実践である。
未熟なスピリチュアリストとして、一層の成長を目指し生きる事、そしてスピリチュアリストとして死という旅立ちを迎える事。
その場所を私は創ります。
そこで働くスタッフのお子さん、そして若くして、子どもを残しながら死を迎える人に少しでも多くの時間をお子さんと共有できる場所として、子どもの施設も併設する事。
その子どもたちにも身近にスピリチュアリズムにふれてもらい、『目に見えないものへの敬い』を忘れず、幸せになる為に生まれてきた事。
多くの人の愛があって育っている事。自分の個性を受け入れていけるよう育む事。
そんな空間をつくるのです。
小さな小さな空間から、少人数から初め、ナイチンゲールが病床で『看護覚え書』を書いたように、スピリチュアリズムを実践しながら
『スピリチュアリストとしてどう生き、どう死すか』という覚書をつくり上げて、後世、これからのスピリチュアリストにバトンタッチできたら幸いに想います。
まだまだ言葉にしたりないのですが、あの日頂いたメッセージにはその様な事がありました。
あぁ~あの時の打ち震えんばかりの感動をどう伝えていいのかわかりません。
自分の道筋がはっきり見えてくる。確信を得る。そんな一夜でした。
そうした後の夢さん一家とのお不動さん行き。
例えどの様な事が人生に起ころうとも、自分の理念・信念は曲げずに進む事の大切さをメッセージとして受け取りました。
さぁ、後は一歩一歩焦らず慌てず進む事。
皆さん!有言実行していきますので、温かくお見守りくださいね(^_-)-☆
今日も長々お付き合いありがとうございました♪
スピリチュアルアドバイザー奈々
2012年12月1日