今日は68回目の長崎原爆の日でしたね。
予定していた午後の仕事が急遽キャンセルになった為、観たくて観たくて、でも時間が合わずに終了してしまう所だった映画
『ひろしま~1945年8月6日、原子雲の下の真実~』を観に行けました。
8月3日から今日までの一日1回の上映という事で、今日の仕事のキャンセルがなければ観れなかったのです。
この映画の告知で『58年の時を経て、幻の映画が奇跡の再公開』とありました。
広島に原爆が投下されてから10年も経たずに制作された映画で、8万人を超える広島市民が手弁当でエキストラとして参加したもので、
その中には原爆を直接経験した方も少なくなかったそうです。
モノクロで映し出される生々しい映像は、いくつもの想いを映し出してくれました。
核兵器を含めあらゆる武器を製造し、保持している国や人はこれを観なければならない。
戦争を、争いを止めるのではなく、利己的な要因から先導する人、どの国で何が行われているのか無関心な人々はこれを観なければならない。
目をそらしてはならない、と痛感する映画でした。
今日、長崎市の田上市長は平和宣言で、4月の国際会議で提案された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、賛同しなかった日本政府を強く批判しました。
『日本政府は(共同声明に)署名せず、世界の期待を裏切りました。これは二度と世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。』
そして若い世代にもこう語りかけました。
『若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか、あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか、考えてみてください。』
この田上市長のなげかける言葉には、いつも感銘を受けます。
平和への祈りを深めたいなら、何があったか知ることだと、私は想います。
知ること、理解すること、そして本当の意味での『平和』を祈る事。それが今この国には必要です。
『ひろしま~1945年8月6日、原子雲の下の真実~』で、ある中学生が教室で叫ぶ言葉があります。
(終戦後の教室、原爆を受けた子、受けなかった子。体調不良がある子、ない子、それどれがいます。)一字一句を暗記は出来なかったので大まかにですが、
原爆の影響で体調不良を訴えた女学生に対し、ある男子学生が夏はみんなだるくなるもだと言い、同意するかのように嘲笑する多くの学生。その学生達に対しある原爆を受け、ケロイドもある男子学生が叫ぶのです
『世界に原爆の悲惨さを叫ぶ前に!この国に、原爆をうけた広島の人間でさえその恐ろしさを、悲惨さを知らない!偏見がある!世界に伝える前にまずはここからじゃないか!』と泣き叫ぶのです。
とても耳に痛い叫びでした。
そしてこの同じ土地にいても、同じような経験をしても、、こうまで無知と偏見があるのだ、と痛切に伝えた少年の姿が、今の福島や、あの原発事故で避難している多くの方々の想いにも感じました。
無知と偏見。
きっと誰かが何とかしてくれる、という依存心。
それを必死に生きている、戦後10年もたたない時代に生きた少年に教えられました。
皆さんも、どうかこの国生きるのであれば、あの時代に何があったのか、『戦争』という暴走がなぜ起こったのか知ってください。
その一つの切っ掛けに『美化』された戦争映画ではなく、目をそむけたくなっても、涙がとまらなくても実直に丹念に、そして多くの方々の『想い』がつまった映画やドキュメンタリー、書籍や語りべのお話に耳を傾けてみてください。
過ちを繰り返さないためにも・・・・・。