やっとこずっと書きたかった日記が書けます!
それは2月19日の放映された『明日、ママがいない』というドラマで語られた言葉を皆さんにお伝えしたい、という事でした。
このドラマは児童養護施設を題材にしていまして、いろんな物議を巻き起こしましたが、私は最後まで見続けることを決めています。その理由はこのドラマが終わってからお伝えするとして、今回は今必要なメッセージを一つ。
日記タイトルにも書きましたが『一度心に受けとめるクッションをその胸に持ちなさい』という事です。
ドラマの中で、施設長が施設にいる子どもたちに語りかけた言葉をそのまま載せます。皆さんなりにどの様なメッセージなのか消化していただければありがたいです。
ではでは、明日ママがいない、第6話から
『お前たちは何に脅えている。 お前たちは世間から白い目で見られたくない。そういう風に脅えているのか?だからそうなる原因になるかもしれないアイツを排除する。そういう事なんだな。
だが、それは表面的な考え方じゃないのか?もう一度この状況を胸に入れて考えることをしなさい。
お前たちが知るアイツは本当にそうなのか?乱暴者で酷い人間か?そんな風にお前たちはアイツから一度でもそういう行為や圧力を受けた事があるのか?』(首をNOとふる子どもたち)
『なら何故かばおうとしない。世の中がそういう目で見るならば、世の中にむけてアイツはそんな人間じゃない、と何故闘おうとしない。あなたたちはあの人の事を知らないんだって、一人一人目を見て伝えようと、そう闘おうと何故思わない。
臭いものに蓋をして、自分とは関係ない。それで終わられるつもりか?大人ならわかる。大人の中には価値観が固定され、自分が受け入れられないモノすべてを否定し、自分が正しいと声を荒げて攻撃してくる者もいる。
それは胸にクッションを持たないからだ。わかるか?そんな大人になったらお終いだぞ。話し合いすらできないモンスターになる。だが、お前たちは子どもだ。まだ間に合うんだ。
一度、心に受けとめるクッションをその胸に持ちなさい。
この世界には残念だが、目をそむけたくなる様なひどい事件やつらい出来事が実際おこる。だがそれ自分とは関係ない、関わりたくないとシャッターを閉めてはいけない。
歯を食いしばって、一度心に受けとめ、何が酷いのか、何が悲しいのか、何故こんな事になってしまうのか、そう考える事が必要なんだ。
お前たちは可哀そうか?本当にそうか?両親がいても毎日いい争いしている、その氷のような世界にいる子どもたちはどうだ?両親がいるくせに、と冷たく突き放すのか?もっと辛い子もたくさんいる。誰かに話したくても言えない子だっている。
それでもお前たちは世界で一番可哀そうだと思いたいのか?』(『違う』と子どもの一人が言う。)『そう、違うだろう。うんざりだろう。上から目線で可哀そうだなどと思われる事。何が可哀そうだってんだ。冗談じゃない。可哀そうだと思うヤツの方が可哀そうなんだ。
つならん偽善者になるな。つまらん大人になるな。つまらん人間になるな。お前たちが辛い境遇にあるというなら、その分人の痛みがわかるんじゃないのか?寂しい時そばに寄り添ってほしい。自分がそうして欲しい事を何故しようとしない。』
(その後多少のやり取りがあり)『いいか。最後にもう一度いうぞ。』
『一度心に受けとめるクッションをその胸に持ちなさい。世界に存在するあらゆる穢れや醜さから目を背けず、一度受けとめてみなさい。
それができる人間は、一方でこの世界の美しさ、愛おしさを知る事ができるだろう。
お前たちは傷つけらたんじゃない、磨かれたんだ。』
風邪とオリンピックで使い物にならない一ヶ月以上の日々にも、いろんな事件や争い、そして戦争の匂いもしています。
今パラリンピックの開会式を流しながらこの日記を書いています。必然を感じます。
一度どの様な出来事も心に受けとめ、その中で葛藤しながら分析し日々に活かしながら生きていきましょうね。
オリンピック、パラリンピックの原点、思想が今の現状に活かされますように、祈っています。
スピリチュアルアドバイザー奈々
2014年3月8日