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2014年6月26日

それでもあなたと生きたいから

Filed under: 日々 と 美味  — nana @ 03:26

『三重県の大切な友人の一人、ゆずのベイビーに逢って来ましたよ♪』

 

 

 

最近とても『命』についていつも以上に考えさせられる日々が続いています。22日の江原啓之さんのスピリチュアリズム講座での学びを筆頭に、

 

 

自分自身の周りで新しい命の誕生や、この世を卒業するという旅立ちが相次いでもいるからです。

 

 

そして何より、これからの日本を想いと否が応でも『命』を考えざるを得ないからでしょう。

 

 

私だけの『杞憂』であれば良かったのでしょうが、22日の講座第二部『カルマの法則』を受講された方なら解ると思いますが、江原さんが視えたであろうこの後の日本・・・、私もやはり同じような『未来』を視ました。

 

 

それは今後どう生きるのか、どう死んでゆくのかに直結しています。

 

 

江原さんは講座に来ていた全員に問いました、『今後戦争になったとしたらあなた方はどうしますか?他国と軍隊をつくって闘いますか?それとも腹をくくって争わず死を選びますか?』と・・・。

 

 

し挙手をして意思表示すのですが、私は直ぐにはこの二つに一つの選択に答えは出せませんでした。もちろん武器をもち戦争をする気はありません、争わず死を受け入れるのは本望です。

 

 

ですが、それはあくまでも『一人で直ぐ死ねるのならば』です。

 

 

たまたま講座の直前まで読んでいた倉本聰さんの『ヒトに問う』や先日観た映画『それでも夜は明ける』が頭を過り生々しく『争いの中の死とは具体的にどの様な事が行なわれるか』を想像したら直ぐには手が上げられないのです。

 

 

皆さんも自分の事として考えておただきたいのですが、『ヒトに問う』の中で、総理大臣に質問するシーンがあります。

 

 

『総理に素朴な質問をいたします。是非正直率直に、総理大臣の立場を離れ、政治家としての立場も離れ、日本人としての立場も離れ、人間として、一個のヒトとしてウソでない答を答えていただきたくお願い致します。』

 

『一ツ。あなたは何によっていきていらっしゃいますか、金ですか、平和ですか、安全ですか、それとも空気ですか、水ですか、食料ですか。ア、後の方と相談せずにあなた個人の意見を仰って下さい。』

 

『二番目の質問。

あなたは誰の為なら死ねますか。国ですか、選挙民ですか、隣人ですか、友人ですか、それとも両親、妻子、孫たち即ち家族の為なら死ねますか。或いは自分の見栄、誇り、そういったことの為なら死ねますか。

 

ア、この答えを出す前に、死ぬということの現実の痛み、苦しさ、怖ろしさを、時間をかけて良いですから充分リアルに想像して、その上で慎重に答えて下さいね。

 

ちなみに、死という現実には色んなケースがございました、溺死、圧死、窒息死、焼死、拷問死、戦死、自死、凍死、餓死、等々、いずれも相当の恐怖、苦痛を伴うものであることを御想像、再確認していただきたいと思います。

 

制限時間を限られておりますので、最後の、三番目の質問を致します。

 

我々の乗っているこの地球は、今後どの位続くと、---いや、人類は今後どの位存続すると思っておいででしょおうか。そして人類が滅びるとしたら、そては自然現象によるとお考えですか。それともヒトの犯した何らかの過ちによると思われますか。

 

以上三点につき、総理の、ヒトとしての真摯なお答えをいただきたいと思います』

 

 

『それでも夜は明ける』という映画の原題は『12年奴隷だった』というもので、家族と幸せに暮らしていたある自由黒人の男性が誘拐され奴隷にされた12年間を実話を基に描かれたもので、

 

映画の途中では目を背けたくなるようなシーンも多々でした、抑圧される中での人の無関心さ、そうすることで自分を守ろうとしなければ生きていけない日常、幼い子どもはそれが『日常』になり、あたり前となっている遊び場、

 

そしてある奴隷の女性は死んだ方がましだ、という目にあい続け、宗教上自死ができないから自分を殺してくれ、と頼むシーンもあり、

 

 

ただ、楽に綺麗に死ねるわけではない現実を私は考えます。何も思わず、静かに死を受け入れることができるのは、自分の周りが平和であるか、もう『感覚』がなくなり何も感じない『時』になったら静かに死を怖れず逝けるでしょうが、

 

 

長い長い拷問を受けたとき、相手を一瞬も憎まないオキレイな感情のままでいられるか私は自信がない、特に目の前に子どもたちがいて、その子どもたちが酷い目にあっていたとき、ただただ耐え『争わない』を実践し続けれるか『絶対的』な確信はもてないのです。

 

 

小さな子どもたちを残してさっさと死を選ぶことが本当にいいのか、その子たちの未来はどうなるのかも考えず『私は死を選びます!』とは挙手はできませんでした。

 

 

もちろん、江原さんもその点について後から直ぐに挙手した方々にきいていました。『楽に死ねない場合だってあるからね。踏みにじられるような事もあるからね』と・・・。

 

 

今、生まれくる子どもたち、そして生きている子どもたちはある程度この国がどの様な『未来』を創り出すか『おおよそ』の予見を得た上でお父さんやお母さんを選び『それでもあなたと生きたいから』とやってきます。

 

 

その命に、その選択に恥じないよう、おとなたちも一生懸命生きたいですね。『おおよそ』の流れはあっても『未来』は今の段階で『確定』はしていないのですから・・・・。

 

 

今日も長々お付き合いありがとうございました(*^_^*)

 

 

 

スピリチュアルアドバイザー奈々

2014年6月26日

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