最近想うのです、
どんなに色々な事を感じても『見守る』ことしか出来ない事のなんと多い事か、と。
これは別に私だけでは無く
誰かの親であり、子であり、友であり、パートナーであり、家族であり、
どの様なカタチであれ、自分以外の『他者』と人間関係を結んでいる人なら
すべての人が体験する事でもあると想うのです。
「あぁ、今は何を言ってもこの人には『入らない』なぁ~」と、
私はよく『入らない』と使うのですが、たぶん『伝わらない』に近い感情です。
本人が『誰か』に『何か』を言われる事を、求めていながら、拒否をしているのです。
ある一種の自己防衛に近いかもしれないですがね・・・。
求めながら拒否をしている方のほとんどは気づいています。
自分の考えや行動に『誤り』があるとね・・・。
気づいていながら、納得できなくて、悔しくて、悲しくて、苦しくて呑み込めないのです。
自分では呑み込めないから、『他者』から促してほしくて、納得できる説明や
助けがほしくて、拒否をしながらも求めるのですね。
それでもご自身の『自我』や『想いこみ』『拒否感』が過ぎると
メッセージは『入らない』ですし『伝わらない』のです。
私自身の力不足も勿論ありますが、
守護霊の方も、『ほっておいて下さい』と。おっしゃってきます。
『今』は本人の成長の為に、この『喜・怒・哀・楽』の源になる『経験』が必要だからです、と・・・。
そう言われてしまっては私として出来ることなど限られているのです。
少しの『切っ掛け』としてのアドバイスと、そしてその方の成長を見守り祈る事です。
もう後はご本人が沢山の『喜・怒・哀・楽』という感動・経験を通し
自分で、にわかでは無く、根底からの『気づき』を得るしかありませんし、
その得た『気づき』を苦しくても、悲しくても使って生きるしか無いのです。
どんなに『今』苦しそうでも、悲しそうでも、
本人に『メッセージ』を受けと止めるだけの『器』や『理解力』が無ければ
伝えても『今』は『入らない』のです。
しかし、『今』が『未来』に繋がっているのですから、
『今』伝えるという事もすべてが『無意味』では無いので
状況に応じてお伝え出来る事は伝えしていこう、とも私自身が気づかせていただく日々でもあります♪
きっと私自身も『誰か』に『あぁ~ダメだ今は無いを言っても・・・。』と想わせているのでしょうねぇ(笑)
でも、誰かに見守られている、というのは心強い事ですよね(●^o^●)
出逢ったすべての方々の幸せを祈って見守っていきますので、
さみしくなったり苦しくくなったりして、生きるのが辛くなったら
私の品の無い『ガッハッハ』という笑い声と
ムチムチの笑い顔を想いだして下さいね。
想い出せた時点で、もう私のエネルギーはあなたの側にいますからね♪
大丈夫ですよ、あなたは必ず見守られているのですから。
スピリチュアルアドバイザー奈々
2010年6月21日