何かを見極めるという事に時間が必要な場合があります。
先日の25日、裁判員裁判になり初めて少年に死刑の判決が下されました。
あまりにも『時間』に追われた判決になった気がしてなりません。
本来『裁判』とは時間をかけてでも事件が起こった背景や経緯、
犯罪をおかした人間の実像や家庭環境、心境を分析しつくし、その上で判決を下すべきだと想います。
ですが、最近の裁判員を投入しての裁判は、まるで時間に追われ(裁判員の生活を考慮せざるをえないので)
慌ただしく、無理やり結論を出しているように見えるのです。
様々な所(裁判員・その家族・遺族・国民・マスコミ・法律家・役人等々)から『異論』や『不満』が出る前に
何とか『片づけ』てしまおう、との流れがみてとれます。
異論や不満が噴出したら、極刑に対しての議論やこの裁判員制度自体にメスが入るからでしょう。
私はそうあるべきだと考えています。
もっともっと私たち自身も考え議論すべき事です。
この裁判員という制度の良い点は、皆さんが『裁判』というものに関心を持って下さった事です。
そしてこの関心はより一層深めていく事が大切だとも想います。
今の日本では極刑は『死刑』となっていますが、ここについて専門家や政治家だけで無く
私たち国民も参加して、時間がかかっても良いから議論する事です。
『感情論』ではなく、『理性』で、問題点を浮き彫りにし関わり方を、刑の仕組みや
刑務所、死刑囚の現状、出所後の再犯率がなぜ高いのかなど、色々考えてみる時期です。
皆さんは今回の少年にたいする死刑判決をどうお考えになりましたか?
スピリチュアルアドバイザー奈々
2010年11月26日