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2011年5月1日

今とても伝えたい事~ある母親の手記~

 

 

この日記は何時間もかけて書いた、『今とても伝えたい事』です。

 

 

どうかお願いです、長いですが最後まで読んでみて下さい。 

 

 

昨日は、『チェルノブイリ原発事故から25年、核より命! HAN KAKU SAI はんかく祭』に行って来ました。

 

 

友人とは夕方会う事に変更にありましたが、是非是非聞いてほしい話に出逢いました。

 

 

何がなんでも、友人を引っ張っていけば良かったなと、想うぐらい聞いて欲しい話です。

 

 

長いですが、今回の日記はその話(正確には手記です。)を載せます。

 

 

パソコンの方は録画そた映像が観れるのでアドレスを載せますので、そちらから映像でどうぞ、

 

 

より一層想いが伝わるとおもいます。http://www.ustream.tv/recorded/14372734

 

 

 

 

『1999年に起こった東海村JCO臨界事故の際、当時2キロ離れた所に住んで、子どもさんを育てていた母親 やたべ ゆうこさんの手記』

 

 

 

あの日何が起こったのか聞いて下さい。(手記始まり)

 

 

【1999年9月30日 あの日子どもたちに何が起こったか】

 

 

私の家はJCOから2キロぐらいの所にあります。

 

家よりもっとずっと近い、600メートルから1キロぐらいの所に、幼稚園や保育所、小学校が4つも5つもあります。

 

 

事故で亡くなられた、JCO社員おおうちさんやしのはらさんが、青い光をみたその瞬間に

 

一番近くの小学校では、全校生徒がグランドに出ていました。

 

 

グランドからは、JCOの建物の一部がハッキリと見えます。

 

でも、何をしている会社なのかは、ほとんどの人は知りませんでした。

 

もちろん、事故のバーストの事は誰も気づきません。

 

 

放射能や放射線には色も匂いもないから、誰にも見えません。

 

学校には警報機なんかないから・・・。

 

子どもたちが放射線の中で遊んでいても、誰にもわかりません。

 

 

本当は、誰かが直ぐに知らせなければいけなかったのです。

 

 

東海村が村民に対して、事故を知らせ、屋内退避の呼びかけをしたのが、事故から2時間ぐらいしてから。

 

村の境に接して、隣の私の町の教育委員会から、町内の小中学校に連絡がいったのは、

 

さらに30分以上たってからでした。

 

その隣の市の擁護学校には、とうとう知らせはいかずじまいだったそうです。

 

 

誰かが、全部の人に、もっともっと早く、知らせなければいけなかった。

 

 

知らせの後、子どもたちは、窓をぴったり閉めた息苦しい教室の中で、じいっとしてました。

 

その内、校長先生にも挨拶も無いまま、静かにス~っと近づいてきた車がありました。

 

 

車から数人の男の人たちが降りたち、ガスマスクをつけ、白衣姿でした。

 

手にした放射線測定機で、校庭の汚染状況を調べ始めました。

 

子どもたちの何人かは見ていたのです。

 

先生方が、電話や報道人への対応に必死だった頃、

 

息をつめて、じぃっとガスマスクの男たちを見ていたのです。

 

 

その時、事情を説明して不安を鎮めてくれる様な人はいなかった。

 

だって、大人にもわからなかったんですから。

 

 

学校の上空には、幾台ものヘリコプターが飛びまわっていて、時折話し声もかき消されていまう程でした。

 

普段は車の音も聞こえないぐらい静かな所です。

 

 

「私たち死んじゃうの?」

 

そう言って泣きだした6年生の女の子の問いに、いったい誰がハッキリと答えられたでしょうか。

 

 

 

中性子線はコンクリートの壁さえも通り抜けてしまいます。

 

教室の中に潜んでいてもシャットアウトはできません。

 

中性子爆弾ていう核兵器はとてもクリーンな兵器だそうです。

 

町や物を壊す事無く、命だけを殺すから・・・。

 

 

誰かが、子どもたちを核シェルターの中に匿わらなければいけなかった。

 

でも、そんな高性能なシェルターをいたる所に設置する事ができるでしょうか?

 

出来たとしても、バーストの瞬間にすぐ近くにいる人には間に合いっこありません。

 

 

国の官房長官が、事態は終息したむねの発表をした後、

 

子どもたちに下校の指示が出されました。

 

校門を後にして、家路途中にある子どもたちの上に、にわかに強い雨が降りしきりました。

 

どの子もびしょぬれです。

 

その日は布団を干したほどの晴天でしたから、誰一人傘を持っていませんでした。

 

 

臨界状態が続いているらしい、

 

中性子線が出ている、と中央官庁が慌てだしたのは

 

子どもたちがずぶぬれになって帰った後です。

 

 

「ただいまっ」と、玄関に娘の声、

 

髪から肩に滴りおちる雨のしずく・・・。

 

 

「早くシャワーを!! 頭も洗って!! 服もかばんも全部あらわなきゃ!!」

 

 

私はそう叫びながらも、心は凍りついていました。

 

それなのに、頭の中ではその一瞬の間にいくつもの想念が、走馬灯のように凄い勢いで駆け巡りました。

 

もしもこれが、取り返しのつかない重大な事態だとしたら、

 

いったいこの子は!?

 

 

原発がすぐ近くにありながら、私はなんの心配を、なんの準備をしていたとゆうのだろう。

 

この子になんにもしてやれなかった・・・。

 

こんなに清らかで優しい子なのに・・・。

 

 

その時まるで何か思い塊をズシンと胸に突き付けられて、それがそのまま懐の中に入ってきて、心の底に沈んでいく様な感覚でした。

 

 

 

誰がなんと言おうと

 

安全ですと、100っぺん聞いても、もうこの塊は取り除けないと思っています。

 

重くて深くに沈んでしまったから・・・。

 

 

私も頭ではわかっています。

 

今回の事故で放出された放射線物質よりも、14年前チェルノブイリから日本の上空に到達したそれの方が多かった事を

 

娘の身体に心配は無い事を

 

今回は大丈夫だった事を

 

それでもこの塊は消える事は無いのです。

 

 

ああ、せめて誰かが・・・。

 

「雨にはあたらないように」と、子どもたちに言ってやらなければいけませんでした。

 

誰かが?

 

誰かっていったい 誰が?

 

あの日までは私の頭の中で、その誰かはどこかしかるべき筋の専門家でした。

 

 

でもあの日、

 

この子も、その子も、あの子も、

 

 雨に濡れて下校する子どもたちの姿を見た時から、

 

私の頭の中で、体の中で、その誰かは誰でもない私になりました。

 

子どもたちは、大人に言われるまま、教室でじっとして

 

そして雨にぬれて帰って

 

そして中々止められないっていうふうに、どうやって止めようかっていうふうに議論されている間中

 

事故現場のすぐ近くで、家の中にじっと屋内退避をしていました。

 

 

事故があったら、早く遠くに離れる事。

 

雨にはぬれない事。

 

そういう事を意識していなかった大人は、子どもたちを守れませんでした。

 

 

私の声は小さくて、知っている事は少ないけれど、

 

1人でも多くの人に語りたいです。

 

『皆が人任せをやめられたらいいね』って、

 

『そして一緒に皆で、命の未来に希望を』と言いたいです。(以上が手記、以下はお話)

 

 

 

今中先生(今回のはんかく祭の講師)もおっしゃっていましたけれど、

 

 

原子力発電の事だけじゃない、と思います。

 

 

貧困の問題とか、○○(私には聞き取れなかった何か)問題とか、

 

色んないっぱいの世の中の問題、戦争の事も

 

全部最近思います。

 

 

人の命をお金で買うような暮らしがダメなんだって思いました。

 

 

こんなふうに人任せにしたくないって思っていた私でさえ、

 

絶対忘れないって思っていた私でさえ、

 

どっかで日本には起きないで欲しいって思ったんです。

 

大丈夫だといいなって思ってたんですけど、

 

今度事故が起こった所は、たまたま私の故郷でした。

 

だから、悔しいです。本当に・・・。

 

 

それで、皆で命を削らないような世の中っていうか、

 

そういうこれからにしていけたらって思います。

 

ありがとうございました。

 

 

以上がやたべゆうこさんのお話でした。

 

 

皆さんに何かしらのメッセージと、

 

 

今現在進行中の、

 

 

福島県の子どもの最大被ばく量を20ミリシーベルトまで許可している事が正しいと想えるのか、

 

 

という事を考える、興味を持って下さる切っ掛けにしていただければ私の本望です。

 

 

私は感情論でこの日記を書いているのではありません。

 

 

この手記を読んで、一過性の涙を流して欲しい訳でもありません。

 

 

関心と、学習と、行動をしていただきたいだけです。

 

 

その為には、人には感じて動く事、『感動』が必要だと私は想っています。

 

 

堅苦しい話や、意味がわかりにくい専門的な数字の羅列では『切っ掛け』になりにくいので、

 

 

(私にはそういうデータもかなり重要で大事にしてますが、毛嫌いする人が多いのも事実ですから・・・。)

 

 

人の心に、感情にも、理性にも訴えられる話を探しあぐねいていた時に今回の手記と出逢いました。

 

 

実際は、会場にいなければ、本当の臨場感、本質は伝わりにくいですが、精一杯思いを込めました。

 

 

どうか、どうか皆さんの心に、魂に、このお母様の『想い』が浸透しますように・・・。

 

 

 

さて、きたる5月5日、子どもの日に今回は私も参加する行進があります。

 

 

『こどもたちを守るために もう 原発はいらない 歩きだそう いま!』 5・5 札幌ウォーク です。

 

 

5月5日13時から。大通り公園4丁目 駅前通り側 集合で、

 

 

13時30分から14時30分まで、

 

 

「福島県の学校内の最大被爆量20ミリシーベルト」撤回を求めて、のデモ行進です。

 

 

詳しくはこちら→http://blog.goo.ne.jp/nonukesを確認の上、

 

 

私が伝えたから、という事では無く、ご自分で趣旨を分析し判断いた上で参加したい方は、

 

 

5日の13時に大通り公園で逢いましょう。

 

 

ではでは、本当に本当に長々とした日記を最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

もう時間がありませんが、これから仮眠をとって、今日の時事にそなえます(笑)おやすみなさい~

 

 

 

                   スピリチュアルアドバイザー奈々          

                           2011年5月1日    

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