今日の新聞に(北海道新聞ですが・・・。他の地域の方もどうぞ最後までお付き合い下さい。)
『「福島」から「大間」問う』という見出しがついた記事がありました。
明日の19日に、2014年の運転開始予定の為建設中の青森県大間町の大間原発をめぐって、
函館市民らが電源開発(東京)と国に建設差し止めなどを求めた訴訟の
2回目の口頭弁論があるそうです。
ここで、なぜ青森県の原発について、函館市民が?と思う方もいるかもしれませんが、
函館は、建設中の大間原発から最短で23キロしか離れていないのです。
もし大間原発の建設がこのまま推進され、
『何か』が起こったら函館の方々にとって対岸の火事では済まされないのです。
(日本や世界のどこで原発の問題が起こっても『対岸の火事』ではありませんがね。)
今回福島の原発事故が起こった事で、
司法の今までの原発訴訟の判断についても色々言われている中、
事故後、原発訴訟の弁論は全国で初めて行なわれるそうです。
未だに終息の見えない福島の原発事故を抱えた国側と企業は
どの様に弁論するのか、また、裁判所もどの様にこの事態を受けとるのか、
これからのこの国のエネルギー政策にとって、一つの目安になり得る事が
19日の函館地裁で行なわれます。
ただ、とても気になる発言が民主党の岡田幹事長からありました。
新聞の記事によると、ですが、
「あと2年ぐらいで動かすという想定で、かなり出来上がっている。
やめる事を考えるべきではない。」(12日、記者会見)
「すでに出来ているもの、出来つつあるものについて、
より安全性を高めながら、それを利用していくということがなければ、
日本の電力は賄えないというのも厳然たる事実だ」(15日、大間町長らとの意見交換会)
もうビックリです。
どこまでも物質的価値観。
出来つつあるから?、出来ているから?
だからといって、未だに扱い方も、処理の仕方も目処がたっていないものを使い続け、つくり続けるのでしょうか?
福島の痛みを本当に理解しているのでしょうか?
今の原発について『厳然たる事実』をみていないのはいったい誰なのでしょうか?
愛の反対は無関心、
何事も無関心にならぬ様に、他人事にならぬ様に、『私は』生きていきます。
昨日の日記にも書きましたが、愚者のままか、賢者になれるよう生きるのか、
皆さんは、いかがお考えでしょうか?
スピリチュアルアドバイザー奈々
2011年5月18日