さて、今日は先日の日記にも書いた、アフガニスタンで医療活動をなさっている中村哲さんのお話に戻ります。
今回の日記は、異なる文化や差別ついて講演で話された内容と、中村医師の書籍から併用して書いていきますね。
中村医師は言います。
『違う』という事が『悪』ではない事。
『優劣』ではなく、『違い』である事。
外からの価値観を押し付ける事で『差別』が生まれるという事を・・・。
中村医師曰く、アフガニスタンの国民は8割が農業、遊牧民であり、ほとんどがイスラム教徒だそうです。
日本の人はイスラム教徒、というと自分たちともの凄く違うと思いがちだが、
近所のふつうのおじさん、おばさんと変わらない人がほとんどだそうです。
過激的な思想は近代に入ってから増えたともおしゃっていました。
中村医師は1984年5月(アフガン戦争の真っただ中)、『ハンセン病五カ年計画』による、
合併症の治療の為、現地入りしたそうで、
今は、紙の上ではハンセン病は無くなった、となっていますが、まだまだある、との事。
自分たちが『ハンセン病』を特別に治療を始めた事で、
それまで、他の病気と変わらず接していた現地の人が、何だかこれは他の病気と違うらしいぞ、
なんだか怖い、という疑心暗鬼が生まれ、
現地で受け入れられて生きていたハンセン病の人に対する『差別』が生まれてしまったそうです。
そこからも、先進国主導の『国際貢献・人道支援』という在り方に対しての疑問も生まれたようです。
講演会でも、書籍の中でも、中村医師が一貫として伝えているのが以下の姿勢です。
『単に違いのあるものを裁いてはいけない』
『優劣でも、栄えていても、劣っていても裁かない』
『違うという事が悪ではない』
『私たちはえてして、自分にとって見慣れないもの、一般的だと思わないものを目にすると、
単に「違う」というだけのものを、善悪だとか優劣だとかでみてしまいがち』
『とくに先進国の外国人はそういう間違いを犯しやすい。』
中村医師も現地で、色々な矛盾した場面にぶつかる事もあるそうですが、
そこの文化が間違っているか、間違っていないかという議論はしないそうです。
理解できない風習や文化に接した時に外国人が陥りやすい過ちの一つに、
先ほどの書きましたが、単に「違い」でしかないものを「善悪や優劣」にわけて現地側を非難しがちである、という事。
一つ中村医師がわかりやすい例をあげてくれました。
『アフガニスタンでは、女性が外出する時に「ブルカ」というかぶり物をする習慣があります。
ほぼ全身を布で覆うもので、欧米社会では女性を抑制するものとして批判の対象になっています。
(ヨーロッパではブルカを着用する女性を公共の場で歩かせてはいけない、という法案の提出がなされたそうです。)
ブルカは伝統的な習慣であり、単なる外出着という一つの文化のあらわれである。
これを「女性への抑制だ」と頭ごなしに批判して無理やりやめさせようとするのは、どうなのか?
アフガニスタンの事はアフガニスタンの人が判断すれば良い、
今の日本だって、つい最近まで、「おなごのくせに」という言葉もあった。
今の正義というもので、全世界を裁いて良いのか?
私が良い、悪いとは烙印を押せない。
外国人として私が批判すべきではない。』というものでした。
今日の最後に、一部重複しますが、中村医師の考えを一つ。
『私たちは、そこの文化が間違っているか、間違っていないかという議論はしません。
その文化の中にあって、実際問題として患者がよりよくなるような状態、
あるいは病気が治らないのであれが少しでも幸せになるような状態をつくっていく事が課題であり、方針です。』
とても実直で、現地で活動している方の重みを感じる言葉でした。
スピリチュアルアドバイザー奈々
2011年5月26日