スピリチュアリズムの中で大切とされる考えの一つに、
『何も怖れる事がないこと』というものがあります。
死や別れ、健康やお金、仕事や家、地位や名誉、何事も『失う』となると『恐れ』がうまれてしまいがちです。
それらは全てこの現世のみの事です。
それらを追う事は『物質的価値観』と云われ、
本来のステージである『あの世』は物質界では無いので全く意味を待たないものです。
本当の幸せとは、何も怖れる事が無いこと。
その事を理解し、実践し続ける事がスピリチュアリズムを学ぶ者の役目でもあります。
私自身その考えを大切にしていまし、実践しているつもりでもありました。
今している仕事も、視えなくなったり、仕事として成り立たなくなったら辞めて別の仕事をすれば良い、とさえ想っていました。
それが先日実際に『霊視が出来ない』という状況になり、私の中にもの凄い葛藤が生まれました。
こんなにも自分の中で葛藤があるとは想ってもいませんでした。
今だけの症状なのか(今までも体調不良で視えにくくなると、いう事はありましたから。)
もう完全に視えなくなったえいまったのか、それすら解らなかったのです。
いつ治るかもわからない、予約をいただいている方々にどう説明をしようか、
24日に予定している旭川の出張も、もし視えないもであれば早めにオーガナイザーの方に伝えなければ、等々
熱と中耳の炎症で朦朧としている中、思考もどんどんマイナスに・・・。
基本的には私は楽天家なのですが、さすがに独りで仕事をしているもので、
仕事ができなけれが生活がなりたちません。
その仕事も『視える』事が前提です。
『霊視ができる』私だからこそ予約をしたい、と思われているのでしょうし、
私も霊視をしてのスピリチュアリズムを基本としたアドバイスと決めているので、
『占い』ではありません、とお伝えもしているのです。
今回の体調不良の時間は、私の人間としての学びを多くくれました。
今体調は戻りつつあり、土曜日には突然視えるようになり、ホッとした部分はありますが、
根底の不安要素が無くなった訳ではありません。
いつ、また霊視が出来なくなるかわからないのですから・・・。
今回、自分のストレスと疲労から免疫を落としてしまいアレルギー症状を悪化させた事、
それによって波長を落としてしまった事、それらが要因だとはおもいます。
それを踏まえたとしても、今のままでは不安は完全に無くなったりはしないだろうと思います。
『霊視』が出来なくなったとしたら、その後どの様な仕事をしたいのか、
何も怖れる事がない様に生きる為に、もう一度自分の『仕事』をしっかりみつめよう、と決意した今日この頃です。
今、震災などで仕事や家を失い、不安で仕方が無いという方も多いと思います。
今回の体調不良で私も全く同じ想いではないですが、近い感情を味わえたのは意味があっただろうとも思いました。
スピリチュアルアドバイザー奈々
2011年7月20日