昨日無事に父の手術が終わりました。
手術前と後の血管の変化に家族一同驚きました。詰まっていた血管が嘘の様に血流が良くなっていたのです。
術後の経過も心配ないとの事で、父の顔お見て、握手してから病院を後にしました。
ご心配&温かいメッセージありがとうございました(●^o^●)
さて、話は変わりますが、昨日は父の手術後、間に合えば行きたい!と想っていた、さっぽろ自由学校「遊」で行なわれた『福島から札幌へ逃れて』へ行って来ました。
福島から札幌に避難してきた。福島の子どもたちを守る会・北海道共同代表の矢内幸子さんのお話と、
福島大学から北海道大学に震災特例で移ってきた、26歳の大学生の吉田さんのお話を聴くことができました。
とても学び深い時間をいただきました。
矢内さんは福島で養護教諭として20年勤めて来た方で、子どもの健康、健やかなに子どもをそだてる、という事に重きをおいていたそうです。
その中で、学校という組織内で本当に子どもを守れるのか、という疑問が常々あったそうです。
矢内さんはおっしゃいました、今回家族で避難できたのは、そういう『組織』というものにどっぷり浸かっていなかったからでもあるはず・・・と。
そこは後に語ってくれた吉田さんも似たような事を言っていました。
大学という組織にも色々な意見があり、文科省の影響をとても受ける大学では「学生が混乱するから、原発や放射能について語るべきではない」とのお達しがあったそうで、
事故後原発は危険だ、と言っていた教師も口を閉じたそうです。
学生たちも、時間がたつにつれて、もう大丈夫なのではないか、危険とか、放射能の心配をしている人の方がおかしい、との風潮があり、吉田さんも葛藤したようです。
それでも、吉田さんが札幌に避難したのは、結婚していて(旦那様は今も福島)子どもを産む、という現実が身近にある事と、
年を重ねていて(26歳)、『学生』という集団のなかでつるまなくても学生生活をおくれるぐらいには多少の強さもあったからだそうです。
組織や集団だと、異論が言いにくい、多数が正解で少数は異端とみなされやすいという事は現実としてあると想います。
そこにどっぷり浸かっていなかった二人だから、『避難』を選択できたのだと想います。
今日の日記のタイトル【『注目しつづける』という支援】は、吉田さんの福島に残っている友人の発言だそうです。
その友人は『何も支援はお金やボランティアだけではない、注目しつづけるのも支援だよ』と話してくれたそうです。
とても感銘を受けたのでタイトルに使わせて頂きました。
皆さんもそれぞれの環境、事情があって中々『支援』という事が難しく感じる時もあると想いますが、
どうか『注目しつづける』=関心を持ち続ける、という支援もあるのだと知って下さるとありがたいな、と想う今日この頃でした♪
スピリチュアルアドバイザー奈々
2011年12月7日