昨日は夕方からLプラザで行なわれた嶋橋美智子さんの講演会に行って来ました。
嶋橋さんは、20年前に浜岡原発で働いていた息子さんを白血病で亡くしたお母さんです。
今回の来道の切っ掛けは、福島のこどもたちの一時疎開(サマーキャンプ)のお手伝いがしたい、との事でいらしたそうです。
その最後の日に自分の経験(原発で息子を亡くす)が何かの役に立てば、とつらい体験を語って下さいました。
嶋橋さんの息子さんは94年に労災認定を受けていますが、そこに到るまでの葛藤や
電力会社との納得がいかない、不信感を煽るようなやり取りまで、詳しく話して下さいました。
息子さんは生前、一度だけ『仕事を辞めたい』と嘆いたそうです。
その時美智子さんは原発で働くという事がどういう事か、息子さんがその様な仕事をしているか知らなかったそうです。
知らなかったから、『男なんだから、一度決めた仕事を簡単に辞めてはいけない』と説得し
会社の寮まで送った事があるそうです。
その事を今でも後悔されていました。
あの時仕事の内容を知っていたならば、原発の危険性を知っていたならば、仕事を続けろとは言わなかった、
もしあの時もっと詳しく事情を聞いていらば、もっと色々話したくれれば、息子は死ななかっただろう・・・、と涙ながらに語ってくれたのです。
今、福島の子どもたちと短い時間ではあるけれど一緒に過ごしてみて、この子たちを戻したくない、と想うとも話してくれました。
北海道でマスクも無く、半袖で、地べたに転んでも、外で思い切り走っても危険性がない、
そんなのびのびした姿をみて、安全性を考えたら、窮屈な生活を余儀なくされる福島に帰したくは無い。
この子たちの3年後、5年後が心配だと、涙をこぼしていました。
私も同感です。
私は今でも忘れられない姿があります。
福島から避難している親子さんで、お母さまが自分の娘さんを心配して、
これからの生活をどうしたらいいのか不安に想い、涙で語る姿。
まだ小さい娘さんがお母さんを心配して大丈夫?と顔を覗くのです。
泣かないで、とお母さんの洋服を引っ張るのです、その健気な姿。
そしてお母さんも幼い娘に心配をかけていると、また涙するという姿。
その子は自分の身に、自分の住んでいた地域に何が起こったのか、まだまだ理解できる年齢ではありませんが、
何かお母さんが泣くような、塞ぎこむような『何か』がある事はわかっていようで不安がっていました。
私に何がいえるでしょうか?
簡単に福島を捨てて移住をすべきだと、安易に大丈夫娘さんに何もおこりません、と言えますか?
とてもでありませんが言えません。
皆さんであればどう声をかけますか?なんと言って寄り添いますか?
あの声を聞いて、あの姿をみて私は本当にやるせなくなりました。
嶋橋さんが講演を聞きに来た私たちに問いかけました。
こんな命を亡くしような、危険なものが必要ですか?と・・・。
電気が不自由でも、命が大事。
私たちが使った電気のつけを、何の罪もない子どもたちに押し付けていいのでしょうか?と・・・。
今回の福島の子どもたちのサマーキャンプに援助をしてくれた北海道が、北海道知事が、
同じ顔で、泊原発の再稼働を容認した事が信じられない、と・・・。
どうか北海道の皆さん、泊原発を止めようじゃありませんか、と・・・・。
安心して生きていける環境を残そうでなありませんか、と・・・。
切実に語りかけて頂いた貴重な時間になりました。
スピリチュアルアドバイザー奈々
2011年8月27日