毎週水曜日は近所のデイサービスにボランティアに行っているのですが、
そこの利用者さん達は皆さんご年配の方々ばかりです。
そうすると、人生が性格に影響し、性格が人生に影響するという相互作用を感じずにはいられません。
ある人は、いつもニコニコし感謝も多く周りの方とも仲良くしています。
ある人は、静かに静かに一日中本を読み、周りの方とは距離を置きながら過ごしています。
ある人は、仲間をみつけては麻雀に明け暮れ、勝った負けたと躍起になっています。
ある人は、素敵な声を活かし歌を口ずさんだり、鼻歌を奏でて音を絶やさなず過ごしています。
ある人は、何かにつけてお嫁さんが意地悪している、と愚痴る場所として息抜きに来ています。
ある人は、年配というにはまだ若いですが身体に不自由があり、我慢強くほぼ一日中リハビリに励んでいます。
ある人は、こだわりが強く、自分のやり方、過ごし方に固執しています。
ある人は、自宅で育った花々を持ち寄り愛でながら、月に一度の華道の日を何よりもの楽しみにしています。
ある人は、麦茶を配るとジャパニーズウィスキーサンキューと言い、ユーモアを忘れず周りに笑いをもたらしています。
ある人は、折り紙の時間が何よりもの宝で、午後からの折り紙の時間の為に朝から準備にいそしんでいます。
一人ひとりに今までの人生があり、その人生は日々の過ごし方から出来上がります。
日々の過ごし方は、その人の性格が大きな影響を及ぼします。
『私たちは生きたように死ぬものです』とマザーテレサはおっしゃいました。
はたして私はどの様な死を迎えるのか、と日々の過ごし方を見直す切っ掛けになる時間なっています。
そのチャンスをくれたこのデイサービスの施設は、幸せな施設だな、と想います。
重度の認知症の方も少ないからかもしれませんが、基本的にはスタッフも多くゆとりがあり、笑顔もたえません。
昔、沖縄で関わっていたデイサービスの施設は、スタッフが少ない事もありましたが、
オーナーが完全菜食主義の方で、
その観点から、デイでの昼食、そのデイを利用する方で同オーナーが経営する入居施設に入っている方は
三食まるまんま、完全菜食だったのです。
その方が希望して入居したならば良いのですが、ご家族の方が決定した方がほとんど・・・。
そうすると、中には今までの食生活を忘れられず、オーナーや家族に内緒でお金を用意し
仲良くなったスタッフに、隠れてお金を渡し
『これでチキン(沖縄ではケンタッキーフライドチキンの事を指す事が多々)買ってきてくれ、お釣りはあげるから』・・・というような事が出てくるのです。
私は今でもそのやり取りが忘れられません。
人によっては『食べる事』が何よりも楽しみな方もいます。
身体も時間も想うように使えない方からの様々な訴えが切なく、私はお年寄りの施設に関わるのはやめたいと思うようになりました。
他の施設でも、何でも要望に応えられる訳では無いのはわかってはいるのですが、
例え身体などの為とはいえ、個人の菜食主義が他者にまで押しつけられるのは切なかったのです。
(玄米菜食カフェの経営などを学びに沖縄に行っていたにも関わらず切なくなってしまいました・・・(@_@;))
まぁそんなこんなで、まさか自分が福祉施設に関わりたいと想える日が来るとは予想だにしませんでした。
去年の震災で多くの学びがあり、考えが変わったのです。
私は『スピリチュアリズム』を基本理念とした施設をつくる、と未来の設定をかえました。
ですが、過去の想いから無理強いはしまい、と決めています。
人生は色々、性格も色々、考えも色々、それらを大切にしながらも、死を怖がる事なく迎えられる空間を
残りの人生が豊かで幸せだと想える空間を創りだしたいな、と想う今日この頃です。
さぁ、来週はまたどんな経験が積めるのかな♪ 今日は長文日記お付き合いありがとうございました(●^o^●)
スピリチュアルアドバイザー奈々
2012年7月18日